吉幾三は勝手なやつだな

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吉幾三は勝手なやつだな。1984年に「おら東京さ行ぐだ」という曲を出しておいて、

 

2019年に「THUGARU」という曲を出した。

 

両者の歌詞は真逆である。

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「おら東京さ〜」の方は、テレビも無い、ラジオも無い、車もそんなに走っていない、とにかく娯楽が無い、若者は自分一人の田舎が、嫌で嫌で、自分は都会に出るんだ、都会でひと旗上げるんだ、そんな内容だった。

 

それなのに、「THUGARU」では、田舎を出て行った自分の子供たちはどこで何をしているのかわからない、自分は歳をとって雪道で転んであちこち痛いので病院に行く、田舎は豊かな自然があってご飯もお酒も美味しいのに、なぜ若者は出て行ったきり帰ってこないのか、土地はたくさん余っているのに、たまには顔を見せなさい、と言った内容である。

 

田舎から若者が出ていって戻ってこない理由を35年前にラップ調で歌い上げたのは、他ならぬ吉幾三自身ではないか。田舎は先進的なものが少ないから都会に出ると言っておいて、今度は田舎は自然が豊かだから帰って来いという。そんな勝手な話があるかよ。草おがるじゃ。

 

しかしそんな吉幾三が、手のひらを返した理由はちゃんと説明されている。「THUGARU」の最後で、あなたたちは今は若いかもしれないけど、年齢を重ねればじきに同じ考えになるぞ、と。テレビやラジオは無くても自然が豊かでご飯が美味しければ幸せ、若い人たちが帰ってこないのは寂しい、というわけである。

 

そう言われたら、仕方ない。僕も歳をとったら、今は転ぶはずがないような何の変哲も無い場所で転んで足を痛めるかもしれない。歳をとったら、考え方も変わる、視点も変わる。35年というのは、吉幾三が、田舎を出る若者代表から、田舎で若者の帰りを待つ年寄り代表になるような長い長い時だったのだ。

 

「おら東京さ〜」はなんとか標準語を話そうとしているが、「THUGARU」は訛りが激しく都会の人間に聞かせる気は皆無である。