キリン解剖記
郡司芽久
この本は、1人のキリン好きが、素晴らしい研究者へ成長するまでの過程を記した本である。
最初はキリンの解剖という限定的な議題に興味が湧いてこの本を手に取ったが、読み進めるうちに高学歴のサクセスストーリーを見せつけられているような気分になった。東大に入りさえすれば、キリンの解剖に立ち会うことができる。僕はとても羨ましくなってしまった。
しかも筆者は1989年生まれ。1989年生まれといえば、僕の弟と同い年だ。こういう本を書く人が、ついに歳下になってしまった。しかも筆者は海外の論文を読んで自分の研究をしているため、おそらく英語もフランス語もドイツ語も読むことができるのだ。それに比べて僕はこの34年間何をやっていたのだろう。
いや、そんなことはどうでもいい。キリンだ。キリンの話をするのだ。
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鼻の長いゾウに対して、首が長いキリン。本書にはキリンの名前の由来も書かれている。キリンの名前の由来はもちろん中国の伝説上の霊獣「麒麟」である。しかし麒麟が発祥した中国ではキリンのことは「長頸鹿」と呼んでいるとのこと。キリンは中国にはいない。むかしむかし初めてアフリカから中国にキリンを連れてきたときに「これが伝説の生き物、麒麟です」と紹介したらしい。その後、この時の記録がたまたま日本に伝わり、「洋書に描かれた首が長い"giraffe"は中国で麒麟と呼ばれている生き物と同じに違いない」となってしまった。
本書には、キリンの解剖のやり方が丁寧に紹介されている。改めて考えてみると、哺乳類の遺体に刃をいれ、皮を剥いて肉を露出させ、さらには肉も切り出して骨を露出させているのだから、現場はかなりグロテスクな様子であるはずだ。しかし筆者の文体が柔かく優しいために、それを感じさせない。そのかわり筆者の探究心と好奇心がビンビンに伝わってくる。
この本を読んで羨ましいと感じたのは、筆者が好きなことを仕事にしているからである。「子ども科学電話相談」でたまにでてくる「勉強とは手段」と言い言葉の意味はつまりこういうことだろう。勉強していい大学に入れば、いろいろな研究に触れることができる。
あと大切なのは、動物の遺体に対する敬意である。解剖する遺体は、解剖するために殺された物ではなく自然に亡くなったものだ。だからといって無闇矢鱈に破壊していいものではない。筆者は解剖に慣れていない頃、何もわからず無駄に肉を切り離し遺体を無駄にしてしまったと悔やんだ頃もあったという。
動物の筋肉には、名前がついている。ついているが、全て人間の体が基準であるという。例えば「〜〜状筋」という名前の筋肉があったら、「〜〜状」なのは人間の物だけだ。名前とは他者に説明する道具に過ぎず、そこに実物と自分しかいないのなら、まずは名前を忘れて、実物そのものと向き合うこと。教科書に書いてあることは正解ではない。目の前にある実物こそ真実であり正解であるという。このように考えることで筆者はキリンの筋肉の構造が理解しやすくなったという。
本書は後半からいよいよ専門的な分野に突入してくる。帯に書かれている「キリンの頸椎は8個説」の論文を発見して、それを証明するために奮闘する。
キリンが動物園で死んだ時、飼育小屋の奥で倒れていることが多いという。大きなキリンは重いため、運び出すためにパーツごとに首、体、4本の脚、の6つに切り分けてしまうという。件の論文にはキリンの第一胸椎は、キリンの近縁種であるオカピの第七頸椎に形が酷似しており、だからキリンの第一胸椎は、頸椎である、と書かれている。
筆者は骨の形だけではなく、骨と筋肉とのつながりを観察するために、キリンの遺体が出たら首と体を切り離さずに運び出してもらえるよう依頼する。そしてうまいこと冷凍されていたオカピの幼獣の遺体も提供してもらうことができた。今までの研究者がしてこなかった部位の観察、そしてキリンとオカピの比較実験。その末に、キリンの第一胸椎は他の動物のそれよりもフレキシブルに可動し、首の可動域を増やす働きをしていることを突き止めたのだった…!
ふう、興奮のあまり、本書の核心に触れてしまった。最近はなかなか動物園や水族館に行けていないので、また動物園に行くことがあったら、この本のことを思い出しながら、キリンを観察したいと思う。