発達障害の診断を貰うのは何のためか

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Twitterで「発達障害の診断を他人へのアピールに使うのは意味ない」という書き込みを見つけた。

 


しかし、精神障害の診断、特に発達障害なんかの診断は、健常者、定形発達者へアピールするためのものだと考えている。

 


健常者の中でも「全員が全員出来ることは出来て当たり前」「みんな平等に苦労するべき」みたいな考えの人がいる。

そういう人はだいたい優秀だから、不出来な人の尻を拭いて「自分だけが仕事の負担が多い」みたいな考え方になってる。これは別に悪いことではないと思う。

 


しかし、本当に怠惰な人か、障害で仕事ができない人かというのは外からは区別がつかない。全員平等に苦労するべきだと考えている人は、適材適所の考えに至ることができない。仕事ができない奴に障害の診断が降りないと対応ができない。性格や個性を認めて仕事の振り方を変えることができない。

しかも仕事ができない人ができないなりに仕事の手順を変えたり工程を足したりアレンジすることも許してはくれない。「お前だけ特別扱いすることはできない」とか言い出す。こちらはできないなりに考えて仕事をしようとしているので、邪魔をしないでほしい。

 


だから、そういう人に、特例を認めさせたりするために、発達障害の診断は必要なのだと思う。本人が勝手に言っているだけなら「怠惰」だが、病院で診断が下りたり、手帳を持っていたりしたら、配慮せざるを得ないのだ。人間は所詮、自分が観測した範囲でしか物事を考えられない。これはもう仕方がないことなので、こちらもしっかりと対策を整えなければならない。自分の仕事をしながら、障害者に配慮できる健常者などというのは、ごく僅かだ。

 


障害を診断される前に個性として認めて対応してくれる職場だったり、そもそも障害が仕事に悪影響を与えない職種だったりすると、困らないから診断を受けようという発想にならない。これが発達障害者にとっての理想だと思う。しかしそこにたどり着くことができるのは稀だし、幸運だとさえ感じる。見つける前に心が折れてしまいそうだ。仕方なく薬を飲んで障害者枠で働くしかない。